あなたが眠りにつくのを見るのが最後だとわかったら、私はもっとちゃんとカバーをかけて神様にその魂を守ってあげて下さるように祈っただろう。
あなたがドアを出ていくのを見るのが最後だとわかっていたなら、私はあなたを抱きしめてキスをして、そしてまたもう一度呼び寄せて抱きしめただろう。
あなたが喜びに満ちた声を上げるのを聞くのが最後だとわかっていたなら、私はその一部始終をビデオにとって毎日繰り返し見ただろう。
確かにいつも明日はやってくる、見過ごしたことも取り返せる、やり間違ったこともやり直す機会がいつでも与えられる。
「あなたを愛している」と言うことはいつだってできるし、「何か手伝おうか?」と声をかけることもいつだってできる。
でも、もしそれが私の勘違いで、今日で全てが終わるとしたら、私は今日どんなにあなたを愛しているか伝えたい、そして私たちは忘れないようにしたい。
若い人にも年老いた人にも、明日は誰にも約束されていないのだということを。愛する人を抱きしめるのは、今日が最後になるかも知れないことを。
明日が来るのを待っているなら、今日でもいいはず。
もし明日が来ないとしたら、あなたは今日を後悔するだろうから、微笑みや抱擁やキスをするためのほんのちょっとの時間をどうして惜しんだのかと、忙しさを理由に、その人の最後の願いとなってしまったことをどうしてしてあげられなかったのかと。
だから今日、あなたの大切な人たちをしっかりと抱きしめよう。
そしてその人を愛していることをいつまでもいつまでも大切な存在だということをそっと伝えよう。
「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を伝える時を持とう。
そうすれば、もし明日がこないとしても、あなたは今日を後悔しないだろうから。